4年前からロサンゼルスに居を移し、活動しているローラ。
徹子の部屋に出演し、これまで語ることがなかった生みの母、育ての母のことなど生い立ちについてもポジティブに語っていました。
起きることは必然で全てに感謝。
自分自身が選択してきた人生、誰のせいでもない。
ローラは、日本生まれのジャングル育ち
プロフィール
1990年3月30日、埼玉県狭山市で双子(兄・妹)として産まれる。
兄、リョウさん
ローラという名は米国のテレビドラマ『大草原の小さな家』の登場人物「ローラ」に由来する。
1歳の時に両親が離婚。
父親の郷、バングラデシュに移り住む。
親戚に育てられる。
小学1年生の時に日本に戻るが、再びバングラディシュへ。
バングラディシュでは「ジャングル生活」だった。
木の上で日向ぼっこ
木の実を取って食べたり・・・
お風呂は「池」
水は緑色で、たまにヘビやトラで出てくることもあった。
9歳の時に日本に再入国。
バングラディシュ人の父親
ジュリップ・エイエスエイ・アル
産みの母
産みの母は日本人。
ロシア人の血を4分の1受け継ぐ、いわゆるクォーター。
離婚以来、ローラが26歳の時に初めて会う。
![ローラ](https://okan-nikki.com/wp-content/uploads/2021/04/ec2d229a9f27e5c9524e0da47e163a91.png)
初めて会った時に涙が出ちゃって・・・
私にそっくりだったの
シャイでおしゃれが大好きで、バイクも乗って・・・
宇宙人話を二人でずっとしているの
LAの家にも頻繁に訪れ、お料理や犬の散歩、恋愛話などなど母娘の時間を取り戻している。
育ての母
中国人の母(数学の先生)は、中国語しか話せず、ローラたちはベンガル語しか話せなかった。
家の中でも、学校でも身振り手振りで会話をしていた。
![ローラ](https://okan-nikki.com/wp-content/uploads/2021/04/ec2d229a9f27e5c9524e0da47e163a91.png)
私がジェスチャーが大きいのはそういうところから影響してるの
小学4年生
ちなみに、ローラの地毛は黒だそうです。
小さい時おたがいベンガル語しかはなせなくて日本の学校に入っても顔の表情や手の動きでしかみんなとコミュニケーションできなくて、、
教科書も読めなくて、、
でもお互いいっつもポジティブに考えていたから何か大変な事があっても一緒に乗り越えてきたんだ(^u^)
小学6年生くらいまで、日本語はあまり話せず、教科書もほとんど読めなかっった。
学校の勉強の知識もあまり出来なかったが、イジメとかも全くなかったことに感謝している。
中国人の母とはうまくコミュニケーションが取れな中でも算数と掃除だけは厳しく教えてくれたことで中学校に行っても助かったとこれまた感謝している。
日本語が話せないのに自分たち兄妹に加え、後から産まれた弟妹(これまた双子)4人の子供を育ててくれたお母さんを尊敬している。
今では、お互いに日本語が話せるようになり、コミュニケーションも取れるようになった。
![ローラ](https://okan-nikki.com/wp-content/uploads/2021/04/ec2d229a9f27e5c9524e0da47e163a91.png)
頑張ってきたお母さんに、今happyをいっぱい送ってるの
カッコ良すぎる母
どっちの母???
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Then had fabulous dinner time with mom! What a great day.
お母さんと一緒に素晴らしいディナータイムを過ごしました。
最高の一日だった。
LAに移った理由
20代の頃は、本当に忙しかった。
忙しすぎて自分を見失っていた時期もあった。
自分が嫌いで、鏡を見ることも嫌だった。
「自分は誰なんだろう・・・」
このままでは危ない!
このタイミングでLAに引っ越すことを決める。
それまでの日本での忙しい生活を決めていたのも自分であり、後悔はしていないと話す。
LAに移ってからは、自分と向き合う時間を作り、いろいろなことがポジティブに変わった。
![ローラ](https://okan-nikki.com/wp-content/uploads/2021/04/ec2d229a9f27e5c9524e0da47e163a91.png)
生きてて良かった〜
自分は何をするために生まれてきたんだろう・・・
いろんなものが見えてきて感謝でいっぱい
日本では、一歩外に出ると写真を撮られる。
それは、とても嬉しいことではあったが、大好きな犬の散歩がままならなかった。
LA生活では、いっぱい歩けてワクワクしている。
日本で捨てられていた保護犬を引き取り育てている。
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英語が話せない状態でLA入り
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最初は「OK👌 OK👌」ばっかり言ってたの
レストランで何もわからず「OK👌 OK👌」って言っていたら、アレルギーの食べ物ばかりが出てきて、これではいけないと思い、毎日3〜4時間英語の勉強を始める。
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喋れるようになったの〜
おバカって言われる私でもできたから、みんな出来ると思うの〜
全てに感謝
厳しかった育てのお母さんの教えも私に必要なことだった。
自分に必要なことは必然的に起きている。
誰のせいでもなく、自分が選択してきている。
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どんな形であれ、親が幸せなら嬉しい。
ありがとうしかない。
小さい時に育ってきたつらい経験、楽しかったおもいでとか、パッとはなせるようなお友達はいる?
わたしはいる😊
そして決して人のことをわるく言わないことだね。
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