水の王者 萩野公介は、その個人メドレーで17歳の時、初のオリンピックで銅メダル、21歳のリオ五輪では金メダルを獲得。
しかし、リオ五輪後、右肘の手術をきっかけに全く勝てなくなった。
水泳が怖くなり、無期限の休養に・・・NHK『プロフェッショナル仕事の流儀』でその萩野公介選手を追っていた。
水の王者の転落
画像:毎日新聞より引用
競泳でもっとも過酷と言われる400m個人メドレー。
2016年のリオ五輪でその王者となった萩野公介。
底なしと恐れられていた驚異的な持久力と終盤でも乱れることない美しいフォーム。
4年後開催される予定だった東京五輪でも萩野公介の2大会連続金🏅メダルを誰もが思っていた。
この時、その後の萩野公介の転落を誰が想像していただろう。
リオ五輪以降、萩野公介は試合で全く勝てなくなった。
🏊♂️ 2017年世界水泳選手権
200m個人メドレーで銀メダル
🏊♂️ 2018年パンパシフィック水泳選手権
400m個人メドレーで銀メダル
200m個人メドレーで銅メダル
🏊♂️ 2018年アジア大会
200m・400m個人メドレーで銀メダル
400m自由形で銅メダル
🏊♂️ 2019年2月のコナミオープン
400m個人メドレーの予選では自己ベストよりも17秒も遅く、決勝を棄権。
2016年9月右肘手術
2015年(リオ五輪前年)、フランスでの合宿中、プールと宿舎を自転車で移動中転倒し、右肘を骨折。
リハビリでリオ五輪は乗り越えたが、その後右肘を手術。
この後から何かが狂い始める。
感覚のわずかなズレ。
美しいフォームと言われた泳ぎのバランスが崩れていった。
![萩野公介](https://okan-nikki.com/wp-content/uploads/2021/01/a4fa0baf819a3d46ac1f5f66e8677c58.png)
自分が自分じゃないというか・・・
なんとかしたいと思うんですけどそれができない。
だんだん心と体が離れていくというか・・・
言葉で表すのはものすごく難しいんですけど・・・
絶対的エースで臨むはずだった東京オリンピック
無期限の休養
不調の原因は、体調なのか?メンタルなのか?
萩野本人もわからなかった。
病院で診断を受けるも異常は見つからず。
頭を丸めてプールから離れることを決めた。
平井コーチに最初に号泣しながら伝えた。
![萩野公介](https://okan-nikki.com/wp-content/uploads/2021/01/a4fa0baf819a3d46ac1f5f66e8677c58.png)
水泳が辛いです。
![平井コーチ](https://okan-nikki.com/wp-content/uploads/2021/01/a868f1792ef4676e84d589bb88077df4.png)
お前初めて言ったぞ。
やっとだな。
長かったぞこれまで。
2019年3月、無期限の休養を決断し、海外を放浪。
旅の最中、やっていたこと。
自分の嫌いなことを書き留め、それを捨てること。
![萩野公介](https://okan-nikki.com/wp-content/uploads/2021/01/a4fa0baf819a3d46ac1f5f66e8677c58.png)
自分の中で咀嚼しながら
「あっ自分ってこうだったんだ」とか
考えたくない部分を考えたりとか
人に素直になれな自分。
強がってしまう自分。
水泳と向き合えない自分。
![萩野公介](https://okan-nikki.com/wp-content/uploads/2021/01/a4fa0baf819a3d46ac1f5f66e8677c58.png)
水泳が純粋に怖いって認めるのもものすごく時間がかかりましたし、口が裂けても言えなかったことで、言いたくもなかった言葉だったので
水泳は怖い、水泳から逃げるのはもっと怖い。
オリンピック発祥の地アテネにも足を運んだ。
言葉足らずですが、(アテネの競技場には)不思議なパワーがありました。
じわじわって。すごいパワーがあるなって。
何も感じなかったら、自分にはもう、やる気がないということ。
うわーって感じて、じわじわって感じがあって、「また五輪のマークを見たい」と素直に思った。
![萩野公介](https://okan-nikki.com/wp-content/uploads/2021/01/a4fa0baf819a3d46ac1f5f66e8677c58.png)
本当に苦しくて、本当に水泳が辛くて、辞めるという選択肢も考えてはいたんですよね。
そういう選択をすることはいつかは来るんですけど、そのタイミングが今なのかもしれないと考えることがすごく怖くて、でもそれも含めて考えた上でやっぱり今じゃないと思って、今こうしてここにいるという形です。
水泳が大好きじゃないかもしれないと考えたときに、心当たりがある自分にものすごく悲しくて、苦しいかもしれないけど何よりも強い人間になりたいと思ったんです。
何度も逃げたらら楽だろうなと思うことはありましたけどね。
投げ出したら楽だなと思いますけど、でも楽=自分がしたいことではないので。
楽したらそれこそ楽ですけど、それが僕が一番したいことではないので。
ブランク
泳ぐたびに記録を塗り替えてきた萩野公介はもはや過去の人間。
リオ五輪以降、3年以上自己ベストの更新はない。
ブランクを埋めるために以前では見向きもしなかった大会に毎週のように出場し、実戦で自らを追い込み持久力を取り戻す計画を立てた。
![萩野公介](https://okan-nikki.com/wp-content/uploads/2021/01/a4fa0baf819a3d46ac1f5f66e8677c58.png)
何が何でもって気持ちは大事、本当に。
諦めることは簡単ですから「それでも、それでも」って思って這い上がるだけどと思っている。
それしか僕に出来ることはない。
親友でありライバル『瀬戸大也』
同学年で、子どもの時から世界一を競ってきた親友でありライバルの『瀬戸大也』
瀬戸大也が東京五輪内定を決めたレースに出ることすら出来ない萩野公介は、その間、小さな大会に出続けていた。
参加者1人のこともあり、競う相手も歓声もスポットライトもなかった。
期待に応える責任感
生後6か月、ベビースイミングが水泳との出会い。
どこにでもいるような細身の萩野少年は、ひとたび泳ぐと群を抜いて速かった。
次々と記録を塗り替えていき、勝つことが当たり前になっていった。
![萩野公介](https://okan-nikki.com/wp-content/uploads/2021/01/a4fa0baf819a3d46ac1f5f66e8677c58.png)
全国大会で優勝したとしてもタイムがダメだったら全然ダメだとか。
まだダメだ!まだダメだ!
少しの許しもないというか、意味がないことだみたいな・・・
そうするとどんどんどんどん1人になっていくんですよね。
同学年の友だちとは別でコーチとマンツーマンの指導を受ける日々。
勝つごとに孤独を深めていった。
萩野公介が通っていたみゆきがはらスイミングスクールの代表の粂川進代表は当時の萩野公介について次のように話している。
ロンドン五輪で銅メダル
17歳で初出場したロンドンオリンピックで、水の怪物マイケル・フェルプス(2004年アテネ五輪から2016年リオ五輪まで通算23個の金メダルを獲得)に競り勝ち銅メダルを獲得。
次は金メダル
大学生になった萩野公介は、平井コーチの指導を仰ぐ。
平井コーチが呆れるほど萩野公介は練習に打ち込んだ。
練習を「楽しい」と言っている萩野公介に平井コーチは危うさを感じていた。
![平井コーチ](https://okan-nikki.com/wp-content/uploads/2021/01/a868f1792ef4676e84d589bb88077df4.png)
金メダルと取りたいとか、世界新を出したいとか、そういうよりも期待されているから萩野公介という水泳選手を演じている、要求されたことに対して応えようとするような意思がすごく強いんですよ。
「君、今度目標は金だよ」
「わかりました」
あいつの口癖「わかりました」だから
期待してくれる人たちの思いを裏切ってはならない。
世界の頂きが近づくほど更に分厚い鎧を身にまとった。
![萩野公介](https://okan-nikki.com/wp-content/uploads/2021/01/a4fa0baf819a3d46ac1f5f66e8677c58.png)
自分で言うのもなんですけど・・・
基本自分は人に興味がないので、別に人が何してようが、何を考えてようが、どんなことをしていようが、別にその人の勝手なので勝手にやってくれって感じなんですよ。
いい意味でも悪い意味でも自分だけの世界に入っているのが重要だと思います。
期待に応え、リオ五輪では金メダルを獲得。
側から見たら自信に満ちた盤石のレース。
実は違った。
![萩野公介](https://okan-nikki.com/wp-content/uploads/2021/01/a4fa0baf819a3d46ac1f5f66e8677c58.png)
あのリオの400m個人メドレーでさえも途中でレースプランを変更しましたし、順風満帆に見えてるかもしれないですけれど、いつもスタート台の前に立ったら不安になったりとか、びくびくして敏感になりながら常に威嚇している犬みたいな・・・
心は限界まですり減っていた。
でもそれは誰にも言えなかった。
萩野公介の強さは『限界のない努力』
いくつもの日本記録を樹立してきた萩野公介。
2015年のインタビューで次のように語っている。
![萩野公介](https://okan-nikki.com/wp-content/uploads/2021/01/a4fa0baf819a3d46ac1f5f66e8677c58.png)
誰よりも練習を頑張っていると思いますし、誰よりも努力してきたと思っているので、才能があってどうこうという人間じゃ絶対ないので・・・
親が全くスポーツもできないですし(笑)馬みたいに血統書付きみたいな感じでは全くないので、自分は本当に練習をやってきたという自信で今泳いでいると思います。
![平井コーチ](https://okan-nikki.com/wp-content/uploads/2021/01/a868f1792ef4676e84d589bb88077df4.png)
努力することに限界がないですよね。
コーチ仲間で冗談で言うんですけど
萩野を苦しめるような練習メニューをどうやったら作れるのかってぐらいの感じなんですよ。
天才だ!天才だ!と言われるんですけど天才っていうよりかはすごい努力家なんですよね。
人ができないことをものすごくしてるんですよ。
普通の天才じゃあそこまでできないですよ。
![萩野公介](https://okan-nikki.com/wp-content/uploads/2021/01/a4fa0baf819a3d46ac1f5f66e8677c58.png)
届かないものなんてないから、やるべきことはちゃんとしっかりやってきたはずだから、自分の限界がどこかなんて別に考えてないですし、出来ないことが出来るようになって嬉しくないですか?
けん玉が出来るようになったらちょっと嬉しいとかありませんか?
たぶんあると思うんですけどね皆さん・・・
まとめ
今の萩野公介には、苦しいと口にできる強さがある。
もう鎧はいらない。
![萩野公介](https://okan-nikki.com/wp-content/uploads/2021/01/a4fa0baf819a3d46ac1f5f66e8677c58.png)
率直に一番は時間をもらったなと思いましたね。
いい風に動いてきた時だったので、プラスに考えるようにして、本当に小さくですけど1つずつ階段を登って行くことは何よりも大事だなと思っています。
スタート台の前に立った時、これが自分だって言える姿でたちたいですね。
後ろめたい気持ち何一つなく。
やっぱりオリンピック行きたいし、いい結果出したいし、いい泳ぎしたいし、背伸びするんじゃなくて、見栄はるのでもなくて、等身大というか、自分自身でそういう思いです。
僕自身すごい苦しいことだったり、辛いことだったり、本当に色々ありますけど、でもだからこそ出来ることがあると思うので一歩ずつ頑張ります。
小さい頃から始めて、
良いことも嫌なことも経験した。
だけどあの頃抱いた夢は続いていて、
水泳が今も大好きだ。先の事は誰にもわからない。
でもどんな時もこの時のように
がむしゃらに夢を追いかけたい。#夢のために今できること#chaseyourdream #teambridgestone pic.twitter.com/ki6NbM6TKc— Kosuke Hagino (@haginokosuke) October 23, 2020
記事がお役に立ちましたらクリックして頂けると嬉しいです🤗
負けるわけにはいかない『鎧』というんですかね、それで身体中を固めていたような雰囲気があるんですよね。