中村勘九郎・七之助 歌舞伎は偉大なる父勘三郎の為にやっていた 

トレンド

「なぜ、歌舞伎をやろうと思った?」

 

「歌舞伎を辞めようと思っとことは?」

 

の質問に答えられないという。

 

物心つく前からやっているから・・・

 

当たり前だったから・・・

 

 

小さい頃から、“見られる人”として育った中村勘九郎、七之助兄弟が、

 

フジテレビ系「ボクらの時代」に出演し、

 

父との思い出や存在の大きさなどを語った。

 

 

七之助 兄勘九郎に全幅の信頼

 

七之助さんは、兄勘九郎さんに全幅の信頼を置いている。

 

兄(勘九郎)がGOというものは、脚本を見なくてもGOです。
 

 

 

舞台への恐怖心

 

舞台への恐怖心は常にある。

 

2人とも舞台に出ることは、「怖い」と

 

ずっと前からのものがある。

 

何年前の・・・

 

何代目の時の・・・

 

常に誰かと比べられる。

 

先人達から受け継ぐ重圧は大変なもののようだ。

 

でも、どこか脳でシャットアウトしていると思う。

まともな精神状態で、そこまで考えていたらやっていけない。

 

 

子どもの頃から比べられる生活をして来たのでコンプレックスはないという。

 

どういうのがコンプレックスなのかがわからない。

父親の話題を出されて、嫌だと思ったことは一度もない。

 

 



 

 

歌舞伎は伝言ゲーム

 

歌舞伎では、初役の時には、自分の色を出してはいけないという決まりがある。

 

初役の時は、先輩から教わったことをそのままやる。

 

再演の時は、自分が貯めていた課題をチャレンジして色を出す。

 

次に教える時は、先輩から教わった事と自分がやった事の両方を教えて行く。

 

伝言ゲームだと・・・

 

どこかで完全に(前と)違って来てると思うし、

昔の資料を読み直して軌道修正したりとかしながら今続いている。

 

 

偉大なる父 勘三郎の存在

 

2人は、父 勘三郎さんから常にダメ出しをされ続けてきた。

 

ダメ出しを言われすぎると、褒められたいが為にやっていたかもしれない。 

 

「舞台を楽しむ」

「お客さんに喜んでもらいたい」

とういう考えは、最近になってから・・・

父親と一緒に出ている時は、

「父親に楽しんでもらいたい」だった。

 

崇拝に近いですね。
  

 

父親の存在は、大きかった。

自分たちは、甘えていた。

 

父親に挨拶に行くと・・・

「あのセリフ言ってみろ」と言われ、

言うと

「ダメダメ・・・ヘタクソ、もう1回」

とダメ出しされることの安心感があった。

いなくなった瞬間に

誰のために芝居する?

誰に見てもらってる?これ

他に誰が(ダメ出し)言ってくれた?

じゃ〜これからは自分でやらなければならないんだ・・・って

ここから甘えが取れてきた。

先輩方も言ってはくださるが、

父親のようにストレートには言ってくれない。

「ヘタクソ、役者やめろ!」ですから

それがいなくなったポッカリ感、

それを埋めるのは自分でしかない。

それ以上に努力するようになった。

言われるうちが華ですね。

でも、これはいなくならないとわからないです。

 

父の凄いところは、誰に対しても同じ。

 

ファンの人たちに対する接し方が、真似できるようで真似できない。

 

七之助さんが高校生の時

 

周りのカッコいい芸能人さん達がサインとかを求めらてれて

 

「ちょっとスイマセン・・・」

 

みたいな断る姿がカッコ良く見えて

 

自分もやってみたくなり

 

「スミマセン・・・」ってやったら

 

タクシーに乗った瞬間に父親から

 

「テメーこの野郎!見に来て待ってくれてる人に何してんだ!」って

 

あっ!ダメなんだって、そこからやらなくなりました。
  

 

 



 

 

「また父の子に生まれたい」

 

2014年、NY公演のインタービューの中で

七之助さんはこう語っていた。

 

 

また、父の息子に生まれたい。

 

いい人の息子に生まれたなって。

 

僕は中村勘三郎のファンだった。

 

父としていなくなったのも辛かったけど、

 

中村勘三郎の芝居を観れなくなったことが一番辛かった。

 

 

反抗期

 

七之助さんは、一度もないと。

 

勘九郎さんは、一度だけ・・・

 

芝居を見に来た父親からけちょんけちょんに言われた。

 

人が想像する✖️3くらいのけちょんけちょんでしたね。
  

 

(芝居を)よくしてやろうとかの言い方じゃなくて、

あまりにも理不尽な感じの言い方をされたんで

あまりにも腹が立って壁をバーン!って殴ったら穴が開いて・・・

そしたら、父親がスッゲー怒って

 

普段、家でも僕たちが父親より先にリビングに入ることはないんです。

それが、兄さんが父親より先に行って

廊下の手前の壁をバーン!

「あっ!兄さん死んだ〜」

「あ〜こりゃ大変だ〜」

 

手が壁に入る瞬間がスローモーションのように見えて

自分でも「あ〜死んだ〜」って思って

父親をパッと見たら凄い怒ってたんです。

それが何に怒ってたかというと・・・

父親がバーっと走って行って

「馬鹿野郎!俺だってそれくらい出来んだぞう!」

って壁をバーン!って

 

ビックリしましたからね。

「なんだその態度は!」って怒るかと思ったら

「俺だって出来るんだ〜」バーン!

おかしいでしょ?

 

二つ穴開いて、笑って終わり。
  

 

普通の家庭は、父親が怒ったら

 

母親が「まあまあ〜」みたいにフォローがあったりするが

 

うちは違った。

母親がさらにガソリン撒いてましたらね。

だから母親にも反抗したことないです。

 

勘九郎さんは、子どもに対しては反面教師だという。

 

 

勘九郎の妻・愛さんは一家で重要な役割

 

愛さん(勘九郎の妻)が波野家に嫁いでくれなければ崩壊してたかも・・・

 

愛さんは『要』

 

波野雅行(本名)ももちろん愛しているけど

 

中村勘九郎の芝居も愛している。

 

歌舞伎俳優の妻は、芝居が好きでなければならない。

 

「息子になんでこんなのことさせなきゃいけないの?」って言われたら終わり。

 

七之助さんが、結婚しない理由の1つがこれ。

 

 

好きな人にそこを押し付ける感じも嫌なんです。

歳を追うごとに結婚て大変だな〜と

 

今は、結婚願望は全くないようです。

 

 



 

 

勘九郎、七之助に弟?

 

「父 勘三郎のような役者になる」

 

 

 

中村鶴松(2代目)

 

本名:清水大希

生年月日:1995年3月15日(25歳)

出身地:東京

学歴:早稲田大学文学部演劇映像コース卒業

 

親の意向で3歳のときに児童劇団に入り

5歳で歌舞伎の子役オーディション合格

 

 

部屋子

 

勘三郎さんと共演する機会が増えてきて、

『鼠小僧』に出たときに

「おまえはうちの子になったらいいね」と言ってもらいました。

 

中村勘三郎に才能を見出され、10才の時に「中村鶴松」という名前をもらい部屋子となる。

 

「鶴松」となってからは、稽古がとても厳しかったです。

 

でも、怒られたことも全て芸につながっていくし、楽しいので、大変だと思ったことはあまりないですね。

 

それはやっぱり勘三郎さんの存在が大きいです。

 

歌舞伎の家には堅苦しいイメージがあるようですが、芝居さえしっかりやっていれば、プライベートのことはあれこれ言われなかったですね。

 

公演に出ながら、中学・高校と普通に通っていました。

 

印象に残っているのは、中学1年のころ、勘三郎さんに「役者やめちまえ」と一喝されたとき。

 

女形だったのですが、声変わりの時期で声が出ず、うまく芝居ができなくてすごく怒られました。

 

勘三郎さんは、舞台の上でも容赦なく駄目出しをしてくるんですよ(笑)。

 

でも、そうして怒鳴ってくれる存在がいることは、いい歌舞伎役者になるためにすごく大切なんじゃないかと思うんです。

 

 

 

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