照ノ富士プロフィール
所属部屋:間垣部屋2013年閉鎖(2010年〜2013年)
伊勢ヶ濱部屋(2013年〜現在)
四股名:若三勝(〜関取昇進まで)
照ノ富士(新十両昇進〜現在)
本名:ガントルガ・ガンエルデネ
出身:モンゴル・ウランバートル
生年月日:1991年11月29日
サイズ:身長192cm、体重177kg
得意技:右四つ、寄り
入門のきっかけ
2007年、母親と日本観光旅行中に偶然、相撲関係者に声をかけられる。
観光そっちのけで毎日稽古を見学。
当時、モンゴル中の男子は強い朝青龍や白鵬に憧れていた。
相撲を見て「かっこいいな」
「こんな感じの人になりたいな」
この体をいかしてどこかで爆発したい思いがありました。
2009年来日(鳥取城北高校に編入学)
来日半年で、インターハイ団体優勝に貢献。
家族のために相撲界へ
父、母、姉、妹の5人家族。
両親は、従業員100人越の会社を経営していた。
ところが2011年、突然の倒産で全財産を失う。
両親にインターハイ団体戦優勝報告をした際にそのことを聞かされる。
自分が支えていかなきゃいけない立場。
親に恩返しする番。
家族のために闘う!
家計を支えるために相撲界に入ることを決意。
間垣部屋入門
2010年高校卒業後、間垣部屋に入門。
最初の四股名は『若三勝』
師匠であった間垣親方が名乗っていた四股名「若三杉」に因んでつけられた。
2011年5月初土俵。
破竹の勢いで昇進
2011年:初土俵
2012年:幕下
2013年:十両優勝
2014年:幕内
2015年:関脇
年を追うごとに昇進を重ね、大関まであと一歩のところまで順調に出世していった。
初土俵から4年の2015年5月場所🏆優勝。
初土俵から25場所での優勝は、貴花田(24場所)、朝青龍(24場所)に次ぐスピードでの優勝。
新入幕から大関昇進までも史上3位のスピード出世。
翌年は、横綱昇進も確実とまで言われていた。
月給も200万円超え!
モンゴルの家族に再び裕福な生活をさせられるようになった。
「全部俺がやるから楽に生活して」と言いましたね。
もうちょっとしたら負けなくなるんじゃないかというのは毎場所、毎場所のように感じていましたから。
大関からの転落
毎晩、夜の街へ
両親への責任感から解放されると生活は一変。
応援してくれる多くのタニマチさんたちと毎晩のように夜の街へ繰り出すようになる。
高級シャンパンを20本以上空ける日々。
酒も相撲も誰にも負けねーぞ!
朝まで飲んで稽古して、それでも日に日に強くなっていて。
これでも勝てるんだからとか・・・
ちょっと舐めてましたね。
右膝前十字靭帯損傷
2015年9月場所、11連勝。
2度目の優勝まであと一歩。
12日目の栃煌山戦で初黒星
13日目の稀勢の里戦で無理な体制からの投げの瞬間崩れ落ちた。
右膝を負傷。
変な音がしたんです。
「パッ」と切れる音が・・・
もう脚がフラフラしてるというか、力が入らない。
14日目の豪栄道戦に強行出場、寄り切られ3連敗
千秋楽結びの一番、横綱鶴竜戦では寄り切って勝利
12勝3敗同士の優勝決定戦へもつれ込むが、鶴竜に上手出し投げで敗れ、2回目の幕内優勝はならず。
『右膝前十字靭帯損傷』の診断
治療をしながら稽古。
上半身だけでも勝てると思っていた。
右膝をかばいながらの稽古で『左膝半月板損傷』
歩くだけでも痛いし、前みたいに(土俵際で)残れないし、体が言うことをきいてくれなくなって来ている感じだった。
思い通り全部いってたのが、全く思い通りにいかなくなった。
それが悔しかった。
肉体改造!
膝の周りの筋肉を鍛えることで損傷をカバー。
上半身の強化。
この状況から立ち直るには徹底的に上半身の強化しかない。
まわしを掴んだら誰も動かせないくらいの力をつけたいと思った。
2017年3月場所 作戦勝ちに大ブーイング
肉体強化から1年後の2017年3月場所。
膝に爆弾を抱えながらも出場。
13日目、強敵横綱鶴竜に勝利するも鶴竜戦で左膝の痛みが再発。
まともに相撲が取れる状態ではない。
14日目、12勝1敗でトップで優勝のチャンス。
対戦相手の琴奨菊は、照ノ富士に負けたら大関復帰が絶たれるという崖っぷちの状況。
バッシング覚悟の作戦『変化』
真正面からぶつからず、避けて相手をかわす。
優勝もかかっている。
いい相撲を取るよりは、一番でも多く勝ちたい。
大相撲春場所・十四日目
照ノ富士vs琴奨菊
照ノ富士、琴奨菊を変化ではたき込む!
照ノ富士、1敗を守る。
琴奨菊、大関復帰ならず…照ノ富士の変化に、大阪府立体育会館のお客さんから大ブーイング!!
解説の尾車親方も厳しいコメントが…#sumo
— 水沼 健一 (@bk_mizuken9128) March 25, 2017
なんて書いてあるのかなあとTwitterばかりを見ていた。
「モンゴル帰れ!」
「死ね!」
「こんなんで勝ってうれしいのか!」
はっきりと心に刺さるように入ってきていました。
想像を超えるバッシング。
優勝決定戦で、稀勢の里に負け、2度目の優勝ならず。
照ノ富士関は、後に「変化」についてこう語っている。
膝に水が結構溜まっていて、病院で水抜いて・・・
優勝もかかってるし、琴奨菊関には申し訳ないですけど、こっちもいろいろあって・・・
やっと優勝を掴もうとしているところだった。
何が何でも勝たなきゃいけないと(変化を)決めました。
さらに追い討ちをかけるように糖尿病、C型肝炎、腎臓結石と病が発覚する。
病気の影響で筋力も衰え、体重が30kgも減。
月給0円幕下転落
大関 1勝5敗9休
関脇 0勝3敗10休
前頭10枚目 0勝8敗7休
十両5枚目 6勝9敗
十両8枚目 0勝9敗6休
幕下へ転落
徐々に人も離れていった。
「(照ノ富士は)これでもう終わり!」という感じの方が圧倒的に多かった。
人間が怖くなっていた時期もありました。
自分の気持ちもどんどん弱くなった。
親方に5回の引退直訴
伊勢ヶ濱親方(元横綱 旭富士)に引退を申し出るも親方は首を縦に振らなかった。
「引退を考える前にまずケガと病気を治そう。リハビリすれば復活のチャンスはある。諦めるな。」
引退を認めなかったのにはある思いが・・・
「自分が引退した時、、もう少しやれたんじゃないかって思いもありましたから(照ノ富士も)ケガが良くなった時にすごく後悔する場面って必ず出てくるので、そういった思いをさせたくないなと思って。」
恋人ツェグメド・ドルジハンドさん
大関になる前から交際していたモンゴル人留学生ドルジハンドさん。
(彼女には)弱音を吐きたくないし、もうこれ以上カッコ悪い姿を見せたくなかった。
親方の勧めを受け入れ、じん帯再建手術を受ける。
先が見えない状態に落ち込んでいる照ノ富士を彼女は支え、看病してくれた。
横綱に上り詰め、金も地位も手に入れるはずだったが、今や見向きもされない月給0円の照ノ富士に彼女はこう言った。
「あなたがどんな道を選んでも私は必ず支えていくよ。大関だから付き合ってるわけななくてガナ(照ノ富士)だから付き合ってるんだよ。ガナという人間と付き合ってるんだよ。」
この言葉が、復活する一番の心の支えになった。
かつて家族のために闘い、大関になった。
もう一度誰かのために闘おうと思った。
ゼロからのスタートと思って、まずは目の前のことを一生懸命やろう。
大好きだったお酒も断ち、糖尿病を克服。
半年のリハビリで膝も土俵に上がれるまでに回復。
支えてくれた彼女と結婚💒
手術からの復帰
手術から9ヶ月後の2019年3月場所に復帰。
「モンゴルへ帰れ!」とまで言われた土俵に向かうことに今まで感じたことがない緊張感が走った。
まばらな観客席から
「照ノ富士、頑張れ〜」
の大きな声援が飛んできた。
(声援を)想像していなかった。
ここまで落ちているのに応援してくれる人がたくさんいる。
ここで終わるわけにいかない。
バッシングされている時は、応援してくれているファンに気づけていなかった。
ファンの存在の大きさを心に刻んだ。
復帰初日白星でスタート
投げ技から前へ出る相撲へ
かつては持ち前のパワーで相手を強引に投げ飛ばすスタイルだった。
華やかではあるが膝への負担は大きかった。
相撲の基本に戻り、嫌いだったすり足・テッポウの地道な稽古を1年間毎日続けた。
毎日繰り返していたら癖になってくる。
癖になったら、好きになった。
24時間を全部かけて、寝ている時も(夢の中で)見るくらいできたら、何やってもうまくいくんじゃないかって・・・
地道な稽古は結果となって表れていった。
2019年3月 序二段7勝0敗
5月 三段目6勝1敗
7月 幕下6勝1敗
9月 幕下6勝1敗
11月 幕下全勝優勝
2020年1月 十両優勝
2020年7月 幕内復帰
悪くても支えてくれる人たちに
「応援してきてよかったな」
「応援する人は間違っていなかった」
と感じさせたいと思いました。
幕内復帰初場所で優勝
2020年7月場所、東前頭17枚目で幕内復帰で優勝🏆
師匠・伊勢ヶ濱親方より優勝旗を授与される。
序二段からの復活、再び大関へ まとめ動画
大関昇進がかかった2021年3月場所
12勝3敗で4場所ぶり3度目の優勝🏆し、大関復帰を果たす。
2021年5月場所
12勝3敗で4度目の優勝🏆
頭脳も天才
相撲留学で来日した時は、すでにひらがな・カタカナは書け、日本語も少し話せていた。
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