東京五輪マラソン代表 鈴木亜由子
2020年東京五輪マラソン日本代表選考レース
「マラソングランドチャンピオンシップ」
優勝:前田穂南(天満屋)が2時間25分15秒
2位:鈴木亜由子(日本郵政グループ)が2時間29分02秒
の2人が東京五輪マラソン代表に内定。
2位の鈴木は、3位の小原怜(2時間29分06秒)とのデッドヒートを制して2位に入った。
鈴木亜由子選手は、フルマラソン2戦目で五輪代表の座を掴んだ。
鈴木亜由子選手のゴールシーン&インタビュー動画はこちらで見ることができます。
生年月日 | 1991年10月8日(29歳) |
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出身地 | 愛知県豊橋市 |
身長 | 154㎝ |
体重 | 38㎏ |
所属 | 日本郵政グループ |
小学校 | 豊橋市立八町小学校 |
中学校 | 豊橋市立豊城中学校 |
高校 | 愛知県立時習館高等学校 |
大学 | 名古屋大学経済学部 |
失意泰然得意淡然
(しついたいぜんとくいたんぜん)
物事がうまくいかなくなっても、あせらず、落ち着いて、時節の到来を持つべきだ。
うまくいく得意の時代には、おごらず、つつましい態度で当たるべきだ。
うまくいかない時機をうまく乗り切った者のみが成功する。
スランプは有効に生かさなければならない。
失意=世の中、仕事が思い通りにいかない事。
泰然=どっしりと落ち着いていること。
得意=何をやってもうまくいくこと。
淡然=あっさりしているさま。
五輪を決めた厚底シューズ
鈴木亜由子選手は、NIKI ズームX ヴェイパーフライ ネクスト%を履いて東京五輪マラソン日本代表選考レースに臨んだ。
厚さが最大37mm。
143g(鈴木選手23.5cm)
箱根駅伝でも大流行した。
鈴木亜由子選手は、足底に故障が多いので安心して履けたと話している。
さらに進化したNIKI最新厚底シューズはつま先にエア、クッション&反発が向上している。
リオデジャネイロオリンピック
2016年のリオデジャネイロオリンピック女子10000m及び5000mの日本代表選手に選出される。
女子10000mは、左足の違和感から欠場。
4日後の女子5000mの予選2組に出場。
スタートから自ら積極的に先頭集団の前方で走行。
途中で他選手のスパイクが鈴木の脛に当たって流血するアクシデント。
4000m過ぎで集団から脱落。
結果15分41秒82の同組12着に終わり、5000m決勝進出は成らなかった。
マラソンに転向。
2年後の2018年『北海道マラソン』では、初のフルマラソンで初優勝する。
1500m | 4分18秒75 |
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3000m | 8分58秒08(日本歴代19位) |
5000m | 15分08秒29(日本歴代8位) |
10000m | 31分18秒16(日本歴代9位) |
ハーフマラソン | 1時間7分55秒(日本歴代4位) |
マラソン | 2時間28分32秒 |
陸上を始めたきっかけ
「生まれつきアレルギーがひどかったんです。ぜんそくがあって、電源を入れて息を吸う吸入器を持ち歩いていました」と母 由美子さん。
3歳から始めた水泳と、陸上で徐々に症状が軽減。
実家は、大正6年創業の『鈴木米穀店』
鈴木亜由子選手のお父様が3代目として営んでいる。
小学生の時、家の目と鼻の先にある競技場の陸上クラブに入る???
『鈴木米穀店』は、年始の3日間だけが休み。
ご両親は休日もなく働いていた。
「半ば強引に親の都合で入れました(笑)」と父伸幸さんは話す。
小学2年の時には、マラソン大会で男子を抑え、ぶっちぎりで優勝。
輝かしい中学時代
入学した中学校には陸上部がなく、小学校の時、ミニバスケットボールをやっていたことからバスケ部に入部する。
陸上と違い、自ら始めた球技に熱中。
ポイントガードとして活躍、休日には両方の試合をはしごしたこともあったと。
皇后盃全国都道府県対抗女子駅伝競走大会では中学生選手として2006年、2007年と3区を走って区間賞を獲得している。
苦悩の高校時代『我慢』
愛知県立時習館(じしゅうかん)高等学校に進学。
偏差値70、毎年10人を超える東大合格者を出す進学校。
陸上競技部に入部して本格的に陸上に取り組むようになるが、2度足の甲の疲労骨折を発症、腰骨を移植しボルトで固定する手術を受ける。
高校3年間の半分、一年半走れない日々を過ごす。
救世主 夏目先生
2年生の秋、夏目輝久先生(東三河陸上競技協会会長)と運命の出会いをする。
陸上指導歴30年の退職したばかりの元高校教師。
「ガラス戸の前で体育座りをして、うなだれている亜由子を見てなんとかなしければならない。翌日、亜由子のうちに行って自分の考えを伝えた。亜由子本人、両親、ご家族みんなが私を受け入れてくれたんです。走らないところから練習をはじめたんです。」
無償で引き受けた個人指導。
夏目先生は、高校3年の夏を見据えた『鈴木亜由子復活計画』を作成。
「走らないことが練習」
『ケガが治ればまた輝ける!』ことを信じて1年に渡り回復を優先する。
走りたいのを我慢「マラソンは『我慢』のスポーツ。
この時の『我慢』が今に繋がっている」と話す。
夏目先生は、五輪選考レース(MGC)の応援に来てくれていた。
一番苦しい40km付近でゲキを飛ばし、一緒に走ってくれた。
進むべき道を照らしてくれる存在はものすごく大きくて、夏目先生が居なければ、今、私は走っていない。
陸上の神様がくれた最後の贈り物。亜由子に出会えてよかった。
名古屋大学卒の才女
陸上の強豪校ではない『名古屋大学』に進学する。
・陸上の強豪校で競技を続けることに不安があり、自分のペースでのびのびとやれる環境の方がいいと考えたから。
・男子選手と一緒に練習出来る環境があったから。
週3の合同練習は選手も多く、女子の国内トップより少し上の男子選手と一緒に質の高い練習ができたと。
いやいやいや、👆だからって理由だけで旧帝大 名古屋大学に入れるもんじゃないでしょ。
名古屋大学には「陸上推薦」では入れない。
入試ではほかの受験生と同じく高い学力が問われる。
2013年、大学4年の時の第27回夏季ユニバーシアード(ロシア・カザン)
10000mで金メダル、5000mで銀メダルを獲得。
パワーの源
鈴木亜由子選手のパワーの源は、お米だけじゃない。
2人の祖母合作『愛情黒ニンニク』
母方のおばあさま(千枝子さん)がニンニクを栽培している。
そのニンニクを父方のおばあさま(佳美さん)が熟成加工。
お二人のおばあさまたちは短歌がご趣味とか・・・
天然エピソード
2019年の都道府県駅伝タスキリレー前のウォームアップで鈴木亜由子選手は迷子に・・・
タスキを渡す時点で居なければ失格になる。
なんとか走って帰り、5分前に滑り込み間に合った。
レースの結果は『優勝』!
フィジカルトレーナー室伏幸治
現役時代、独創性溢れるトレーニングをしていた室伏幸治さん。
引退後は、その独自理論に引かれたアスリート等が競技の垣根を超えてサポートを頼まれている。
陸上100mの桐生祥秀選手、カヌーの羽根田卓也選手、オリックスの吉田正尚選手など
鈴木亜由子選手もその1人。
前後左右10歩ずつ2セット。
下半身&体幹効果大
高橋昌彦監督と二人三脚で
日本郵政グループ女子陸上部監督 高橋昌彦さん。
小出監督のもと、有森裕子さんや高橋尚子さんのコーチを務めた経験をもつ。
2014年のチーム発足時に監督に就任。
苦労もして数々の栄光も経験した中で、文武両道でいろいろな経験をしてきているというところが魅力。
自分でしっかりと考える力があるとなと感じます。
練習の話をしていても理解度が高い。
非常に賢い子だなぁと思います。
こういった素晴らしい選手に巡り会えることは指導者冥利に尽きる。
全力でサポートして東京オリンピックを迎えられたらいいなと思います。
出るだけでいいとは思っていない。
より高いところ、できればメダル争いに加わるようなところを目指す。
覚悟を決めてハードな練習に挑んでいくことが必要だし、そうでなければメダルは取れない。
新しく発足するチームで歴史を作りたいと思いました。
多くの有名選手の指導に関わってきた高橋監督の下でやってみたいとも・・・
絶大な信頼を置いています。
レース前、監督の最後の一押しがあってここまで頑張れましたし、積み上げてきたのでオリンピック本番に向けても二人三脚で頑張りたいです。
リオ五輪の時は、自分の力を出せる状況でスタートラインに立てなかった。
東京五輪ではしっかりと体と心を戦闘態勢に持っていってスタートラインに立ちたい
覚悟を持っていく気持ちです。
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