キネマの神様 志村けんさんの代役沢田研二(ジュリー)の経歴が凄い
山田洋次監督『キネマの神様』の主演志村けんさんの代役が「沢田研二」さんに決まりました。
沢田研二さん?
若い人たちには、2018年埼玉アリーナの「コンサートドタキャン事件」のおじさん!と説明したらわかるのではないでしょうか。
私たちが若い頃は、『勝手にしやがれ』『TOKIO』など数々のヒットを連発するカッコいいおじさんでした。
沢田研二プロフィール
- 本名:澤田研二
- 生年月日:1948年6月25日
- 出身:鳥取市生まれ、京都市育ち
- 学歴:京都府立鴨沂(おうき)高等学校中退
ニックネーム:ジュリー
ジュリーの由来は沢田さんが女優のジュリー・アンドリュースのファンだったからだそうです。
樹木希林(悠木千帆)のジュリー
TBS系列ドラマ「寺内貫太郎一家」(平均視聴率31.3%)で、まだ30代の樹木希林(当時、悠木千帆)さんがおばあさん役を演じ、劇中の仏壇の横に貼られた沢田研二のポスターを眺めて「ジュリー!!」と叫び、悶え、腰を振る仕草はが子どもたちの中でも話題となりました。
結婚歴
1度目
前妻は元ザ・ピーナッツの伊藤エミさん
1987年1月、慰謝料18億1,800万円を支払い離婚。
1986年から別居し、この時には「男はつらいよ」で共演した田中裕子さんとはすでに不倫関係にあった。
2度目
1987年に女優の田中裕子さんと結婚。
結婚前にデュエット
結婚30年になるふたりは今でも仲睦まじく、お互いの仕事に関しては立ち入らないようですが、あの「コンサートドタキャン」には流石の田中裕子さんも怒ったらしいです。
最近テレビで見かけることが少なくなった田中裕子さんですが、沢田さん同様グレーヘアのようです。
ふたりのルール
どちらかが出かける時は玄関に出て見送るそうです。
ザ・タイガース
グループ・サウンズ「ザ・タイガース」のボーカルをつとめる。
容姿端麗の沢田さんは、10代、20代の女性を中心に熱狂的な人気を獲得。
1960年代後半、グループサウンズ全盛期に「ザ・タイガース」は「モナリザの微笑み」「君だけに愛を」などのヒット曲を連発。
1969年、メンバーの加瀬かつみさん(ギター・ボーカル)が方向性の違いで脱退。この頃にはグループ・サウンズブームも次第し低迷していく。さらに瞳みのるさん(ドラムス)が脱退を表明。
1971年、解散となる。
約40年後
PYG(ピッグ)
グループ・サウンズの「ザ・タイガース」「ザ・テンプターズ」「ザ・スパイダース」のメンバーが集結し、沢田研二、萩原健一(ショーケン)の二人がボーカルを務める。
グループ名の由来は「豚のようにもまれても生きてゆく」
同じ渡辺プロに所属していたアラン・メリルのアイディアでPIGをアレンジし「PYG」となる。
萩原健一が「太陽にほえろ」など俳優活動が多忙となり、PYGの活動は次第に少なくなり自然消滅。
元ザ・スパイダースの井上堯之を中心に「井上堯之バンド」を結成。
沢田研二のバックバンドとして活動していく。
ソロ活動(主なヒット曲)
1971年、ソロデビュー。
1972年発売の「許されない愛」オリコン4位。
1973年発売の「危険なふたり」65万枚のヒットでオリコン1位。
1974年発売の「追憶」58万枚のヒットでオリコン1位。
1975年、1度目の結婚
1975年発売「時の過ぎ行くままに」92万枚のヒットでオリコン1位。
1977年発売「勝手にしやがれ」89万枚のヒットでオリコン1位。
曲中にかぶっていたパナマ帽を客席に飛ばすというパフォーマンスは、子どもが学校でマネをするほど大きな話題となった。
ビジュアル・パフォーマンスエスカレート期
この頃にはビジュアル・パフォーマンスがエスカレートしていく。
1978年発売の「サムライ」「LOVE(抱きしめたい)」
シースルーに軍服姿
スタジオに雨を降らせ、血で染まった包帯を手に巻く
1979年「カサブランカ・ダンディ」
ウイスキーを口にふくんで霧のように吹く
1979年「OH!ギャル」
タバコを片手に歌うパフォーマンス
1980年「TOKIO」
電飾が施されたスーツを身に纏い、パラシュートを背負って歌唱する奇抜なパフォーマンス
「恋のバッドチューニング」
青や金色のカラーコンタクトを装着するパフォーマンス
新たなバックバンドをつけ「ス・ト・リ・ッ・パ・ー」などのヒット曲をだす。
ザ・タイガース再結成
シングル活動と並行してザ・タイガースを再結成。
ザ・タイガース17枚目シングル『コーセー化粧品』春のイメージソング「色つきの女でいてくれよ」が42万枚のヒット。
全国ツアーも行う。
髪の毛増えた?
沢田研二50周年記念特別公演「音楽劇 大悪名」で僧侶を演じる為に丸刈りにしたそうです。
ライブ会場で沢田さんご本人が
「年齢のせいか?なかなか伸びない。このまま(坊主)で日本中を回らないといけないのかな・・・」と
まとめ
今でも精力的に全国ツアーを行なっています。
風貌は昔と比べてグレーヘアにぽっちゃりになっていますが、コンサートで歌い出すと昔のジュリーが戻ってくるそうです。
こうしてあたらめて沢田研二さんの経歴を見てみると、こんな凄い人だったんだ〜と思うことでした。
沢田研二さんのコンサート行ってみたくなりました。
沢田研二 - Wikipedia
記事がお役に立ちましたらクリックして頂けると嬉しいです🤗