松本サリン事件から26年なぜ河野さんは許せるのか?恨まないのか?

おかん日記
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松本サリン事件

『松本サリン事件の犯人にされた私』

 

「松本サリン事件」

もう知らない人が多いでしょう。

 

1994年(平成6年)6月27日に発生した松本サリン事件。

深夜の住宅街に突如まかれた猛毒サリン。

最終的に8人の死者、重軽傷者約600人。

 

2020年6月27日で事件発生から26年が経つ。

事件の第一通報者の河野義行さんは、突如として犯人に仕立て上げられた。

理由は、河野さんが自宅に保管していた薬品である。

写真や陶芸の趣味があり、それに使うための薬品を20数点持っていた。

その中には、写真の現像をするための薬品、青酸化合物があったのだ。

河野さんが、青酸化合物を手に入れた頃(事件よりも何十年も前)は、一般的でどこにでもあるものだった。

 

強制捜査の後の記者会見で警察が実名発表をしたことからマスコミは『犯人=河野義行』の方向に流れた。

 

河野義行さん
河野義行さん

無言電話や嫌がらせの電話、脅迫の手紙がたくさん来ました。

 

私を支えたのは、妻と未成年の子どもたちを守らなければという思いでした。

 

 

1995年3月20日、オウム真理教による『地下鉄サリン事件』が発生。

これにより、松本サリン事件もオウム真理教による犯行とわかり、河野さんへの疑いは晴れました。

 

 

 

 

疑いは晴れても気持ちは晴れないはず!

 

河野さん自身も、妻(澄子さん)も犠牲者となった中、オウム真理教の犯行とわかるまでの9か月間、警察やマスコミから犯人のように扱われていました。

 

河野さん自身は、「視力に異常が出て部屋が暗くなり、見るものの像が流れ始め、ドッドッと幻聴も聞こえ、吐き気がして立っていられなくなった。」と

 

妻の澄子さんは、口から泡を吹き、全身をけいれん。
夫の河野さんは「彼女の苦しそうな顔を、リアルに覚えています。」と

 

私なら「ふざけんな〜!」

怒りまくりますね。

 

怒る女

 

 

テレビで見る河野さんは、いつも冷静で、彼の口から恨みつらみの言葉が一切出ないのです。

 

いやいやいや〜普通なら怒るでしょ!

なぜ、怒らないの?

とても不思議でした。

 

 




 

 

 

人は間違うものだ

事件発生の苦境の中、子供達に

 

河野義行さん
河野義行さん

 

『人は間違うものだ。

 

間違えているのはあなたたちの方なのだから許してあげる。

 

そういう位置に自分の心を置こう。』

 

と言い聞かせました。

 

意地悪をする人より少し高い位置まで、許すという場所まで心を引き上げようということです。

 

悪いことはしていないのだから卑屈にならず平然と生活しようとの思いでした。

 

高校1年生だった長男に『世の中には誤認逮捕もあるし、裁判官が間違えることもある。

 

最悪の場合、お父さんは7人を殺した犯人にされて死刑になるだろう』と言いました。

 

もし死刑執行の日が来たらお父さんは執行官たちに『あなた方は間違えましたね。でも許してあげます。』と言うよ、とも

 

 

凡人には理解不能

 

 

恨み、憎んでいる場合ではない

 

Q:事件が起きなければ、今はどうしてただろうと考えることは?

 

河野義行さん
河野義行さん

あまりないですね。

 

起きてしまったということは後から取り替えること、変えることができないわけです。

 

僕の人生の中で不幸と感じたことはないですね。

 

事件当時、無言電話とかそういう電話が1件も入らない日があって、平穏というのはこういうことなんだなあと

 

 

Q:2018年、麻原彰晃こと松本智津夫元死刑囚ら13人の死刑執行について

 

河野義行さん
河野義行さん

恨んでどうなるの?

 

過去は変えられないわけでしょ?

 

恨んで妻が元気になって戻るとかあれば、恨む意義もあるけど

 

そういう不幸なことも人生の歴史の1コマということで、切り替えて行かないと

 

不幸の上に不幸を上塗りするような人生になってしまう。

 

 

 

彼女は、しゃべることも動くことも一切できませんでした。

できたのは、悲しそうな顔を見せることと涙を流すことだけ。

 

 

河野義行さん
河野義行さん

私が潰れなかったのは、

 

意識不明とはいえ妻が生きていた。

 

そのことが大きいと思います。

 

自分という人間を本当に100%信じてくれるそういう人をたった1人でいいです、ぜひ作っておいてください。

 

そうすれば辛くてもちゃんと戦っていけます。

 

妻の澄子さんが亡くなるまでの14年間、毎日、仕事が終わると病院に行き、消灯時間まで一緒に過ごしたそうです。

澄子さんが意識を戻すためにいいと言われることはなんでもしたと。

脳に浸透しやすい温泉水が兵庫県にあると聞き、澄子さんが亡くなるまで汲みに行ったそうです。

 

 




 

 

 

言われなき非難

河野さんがサリン中毒で入院していた病院、医師個人にも誹謗中傷が相次いだという。

 

容疑者を入院させて、治療するとはなにごとか!

 

早く逮捕させろ!

 

なぜ治療するんだ!

 

 

医師は河野さんの無実を確信

担当医 鈴木医師は

河野さん自身が冷静さを失わず、自分が疑われているとわかった後でも、全然態度が変わらなかったのでとても犯人とは思えなかった。
 
 
 
 

楽しく生きる

 

河野義行さん
河野義行さん

 

生き死には自分ではどうにでもならないものです。

 

だったら、生きている今を大事にしたいし、そうするしかありません。

 

大事にというのは、自分にとっては楽しく生きることです。

 

そう考えたら憎んだり恨んだりしている場合ではないと思っています。

 

河野さんは6人兄弟の末っ子。

もともと楽天的な性格だという。

 

カメラ事件

働き始めて間もない頃、高いカメラを購入。

ある撮影会に参加した時に、カメラを盗まれたそうです。

「カメラはまた買えばいい。

深刻に悔やんで盗んだ人を恨んだら2重に損した気分になる。

盗んだ人は、うまくいったと喜んでいるからいいじゃない。」

と気持ちを切り替えたと。

 

講演料事件

いただいたばかりの講演料が入った財布を盗まれた。

一応探したけど見つからず。

探せば時間が無駄になる。

盗んだ人にとって今日はボーナス日だったのだと思うようにした。

 

 

いやいやいや〜無理!

そんな境地にはなれません。

 

 

 

 

 

 




 

 

 

鹿児島・愛知に移住

澄子さんの3年祭を終えた後に、鹿児島に移住。

年金だけで暮らすには、寒いところは燃料代がかかる。

温かいところがいいだろうと考えていた時、鹿児島で講演した時に世話になった方に誘ってもらい、移住。

 

今現在は、故郷の愛知県で暮らしている。

月2回ほどの公演を行なっているそうだ。

 

 

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