前田裕二は逆境に屈しない!人生を変えた出来事 亡き母に願掛け

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アナザースカイⅡで語った前田裕二のルーツとメモの原点

前田裕二「逆境に屈しない!」

プロフィール

起業家 前田裕二(まえだゆうじ)

SHOWROOM株式会社代表取締役社長

 

生年月日: 1987年6月23日(33歳)

 

出身地: 東京都北区上中里(8歳まで過ごす)

 

前田裕二
前田裕二

『愛の眠る街』北区。

 

母が自分に無償の愛を注いでくれていたことを確認できる所。

 

母に愛されたから今がある。

 

生まれ育った北区に来ると母が自分を愛してくれたことを思い出す。

 

自分が人に愛情深くなれる。

 

自分もそういう風にありたいって思える。

 

学歴

光明院幼稚園に今亡き母親の自転車の後ろに乗って通っていた。

北区立滝野川第七小学校(小学2年のはじめ頃まで)

早稲田大学政治経済学部

 

職歴

2010年外資金融UBSに入社

2011年ニューヨークに赴任

2013年UBSを退社

2015年『SHOW ROOM』設立

2017年動画配信アプリで収益国内1位に

2020年『smash.』スマホの特化した縦型の短尺シアターアプリ 

 

母の死と『メモ』の原点

 

物心ついたときには父親がおらず、8歳で母が他界。

 

小学2年の途中で転校。

 

 

転校した学校の担任吉野先生が、校庭の階段に座って、前田少年のノートを他の先生に見せて「メモがすごい面白いから」って。

 

他の生徒たちもわワーッて寄ってきて「何何何?」って。

 

「前田くんのノートすごいのよ。字も綺麗で、メモ書きが丁寧なのよ。」

 

前田裕二
前田裕二

すごい褒められるようになってからもっともっとのめり込むようになったんですよ。

 

むしろ、メモを取ることにコンプレックスを感じていた。

 

書いてばかりいる自分は、周りからどう思われてるのか?

 

それを先生が褒めてくれた。

 

 

前田さんの出生には訳ありのようで無国籍だった。

 

母が亡くなってからは、10歳年の離れた兄と一緒に親戚の家を転々と渡り歩く生活が始まる。

 

何ヶ月も住む家が見つからなくて、警察署に住まわせてもらったことも。

 

小学4年生で「働こう!」と思う。

 

 

駄菓子屋さんに行って「時給の半分の400円でいいから働かせてください。」

 

お給料はね売り上げから出るんだよ。

 

うまい棒を少なくとも40本以上売れないとあなたに1時間400円払う原資が無いでしょ?

 

 

 

その時ハッとした。

 

そうか〜お金って湯水のように湧き出てくるものじゃないんだ。

 

ちゃんと物が売れてお給料が出るんだ〜

 

この店どう見て物が売れてるように見えないしなぁ〜

 

 

それで次は家電量販店に行って

 

「裏側のゴミ出しとかでいいです。時給200円でいいですから働かせてください。」

 

もちろんダメ。

 

運命を努力で覆そうと必死だった。

 

親がいないとか、ご飯を食べさせてもらえないとかは自分が何かしたわけでもない先天的なもの。

 

先天的な環境要因を後天的な努力で乗り越えようとしているのにそれを認めようとしない社会はおかしいとグレてしまう。

 

 

この後、10歳離れたお兄さんの無償の愛で考え方が変わる。(後述)

 

小学6年の時、親戚のお兄さんからもらったギター片手に駅前で弾き語りを始める。(後述)

 

高校は都立に通い、学費は、新聞配達とファミレスで働いて払っていた。

 

ファミレスでバイトし、翌朝は新聞配達、そしてバスケの朝練、学校、バイト・・・

 

 

 

前田裕二
前田裕二

高校の時はバスケしていました。

 

あの頃は、体力あったなぁって今でも思います。

 

 

ほとんど家に居る時間がなかった。

 

大学(早稲田大学)の時の収入源は、

①バイトで稼ぎまくり。

頑張っていい成績をとると返さなくていい奨学金があるのでそれを頑張ってもらっていた

 

 

前田裕二
前田裕二

授業中は、ほっとくと寝ちゃうから絶対に意識高く先生の前に座っていました。

 

 

寝たら怒られるんで・・・

 

いまだにその癖が治らない。

 

家で仕事をすると寝てしまうからカフェとかで仕事をする。

 

まだやりたいことの3%くらいしかできていない。

 

 

前田裕二
前田裕二

お金に対する恐怖はだんだんなくなってきているんですけど・・・

 

 

今は何と戦っているんだって話なんですけどね。

 

 




 

 

人生を変えた出来事

お兄さんの無償の愛

医者になりたかったお兄さんは、自分を犠牲にして働いて前田少年を養ってくれた。

 

自分のためにチャンスをくれた兄のためにも自慢の弟でいたかった。

 

早稲田大学の政経学部に入ったのもそう。

 

いろんな逆境が降り掛かってきて、

 

どうして自分だけこんなに辛い思いをしなきゃならないんだろう。

 

与えられた環境や運命を本気で恨む事もあった。

 

親だったり、自分の幸せやアイデンティティが奪われた事が悔しくて悔しくて、夜になると涙止まらなくて・・・

そんな少年時代だった。

 

 

前田裕二
前田裕二

11〜12歳の時までは原動力がネガティブだった。

 

悔しさとか憎しみとかを燃料庫に入れて燃やし続けていた。

 

 

自分には大きな救いがあった。

 

10歳離れた兄が居て、彼にあらゆる面で強く支えてもらいました。

 

彼がいなければ、今の自分は存在しない。

 

彼の愛情を受けて、いつからか、自分はチャンスに恵まれてないのではなくて、むしろ逆に、一見チャンスに恵まれてないように見えるこの状況こそが大きなチャンスなんじゃないか、と思うようになりました。

 

 

前田裕二
前田裕二

それからは、この人を幸せにしたいとか社会に対して役に立つことをしたいとか価値観が180度反転しました。

 

お兄さんはご結婚され、幸せな家庭を築かれている。

 

前田裕二
前田裕二

ひいき目抜きに、あんな幸せな家庭を他に見たことがない。

 

凄いハッピーな家庭です。

 

 




 

インドの足のない少年

 

21歳の時、バックパッカーでインド旅。

 

青い寝台列車で移動中。

 

寝たいたらチョンチョンと。

 

物乞いの子どもが多く、無視していたら激しく引っ叩いてきた。

 

何だよ〜と思いながら目を開けると少年が立ってた。

 

手に持っていたスティックでドラムみたいにやり始めた。

 

 

前田裕二
前田裕二

夜中ですよ。

 

迷惑じゃないですか?

 

何やってんだこいつは〜

 

 

よく見たらその少年は、下半身がなかった。

 

親が足を切ると言う話も聞く。

 

その子は、栄養失調なのかもしれないし、親が切ったのかもしれない。

 

何らかの理由で足を切られ、足がない。

 

 

 

 

前田裕二
前田裕二

ディスアドバンテージ(不利な条件)じゃないですか。

 

 

それを後天的に何とか頑張って生きていこうとしている姿勢そのものに感動したんです。

 

 

感動し、お金をあげたら次の駅で周りのインド人が、その子をホームに投げ飛ばしてボコボコに・・・

 

前田さんは、そのインド人たちと一悶着。

 

カーストの中でアンタッチャブルな子たちに恵みを与えること自体が罪とされている。

 

アンタッチャブル:
・インドにおけるカースト制度にも外れた最下層の人々。
・不可触民(触れることを忌む民とされ、賤民(せんみん)扱いされてきた。1950年、インド憲法の施行により法制度上、身分差別は廃止された。)

 

 

前田裕二
前田裕二

まあねえと思ったんですけどね。

 

 

それで価値観が変わって、

 

 

自分が親が死んだとか、

 

 

国籍がなくて海外に行けなかったとか、

 

 

いろいろあったんですけど、

 

 

それらの逆境は全て努力で何とか乗り越えられる逆境だよなぁって思った。

 

 

前田裕二
前田裕二

感情のコントロールは努力で出来る。

 

 

そもそもみんな出来ないと思っているから変わらない。

 

 

変わらざるを得ない何らかの強制力が働けば凄い変わる。

 

 

うまく立ち回れないと夕ご飯が食べれない状況もあった。

 

 

アンタッチャブルな子たちは、努力したところでどうしようもない逆境下に晒されている。

 

 

前田裕二
前田裕二

「あ、わかった」と

 

 

自分の人生を通じてやらなきゃいけないミッションは!

 

 

努力ではどうにもならない環境下に置かれた子どもたちに少なくとも努力で何とかなる環境を作りたいって思ったんです。

 

 

今やっている(株)SHOWROOMが近くて・・・

 

 

彼の演奏を、彼が捨てられてしまったその駅に配信できる仕組みを置いて、そこから配信して、それを見た僕とか、海外の誰かがこいつ2本の腕で頑張ってるなと思ったらそこで飛んできたお金をATMでおろせる仕組みを作ったら、別に政府とか関係なく、民間の仕組みでそういった頑張るモチベーションとか熱量のある子たちに富を分配していけるなと思って、こういうことがやりたいなって思ったんです、その時すごく。

 

 

昔自分が弾き語りやっている時の体験とかも紐づいて、自分の力で頑張って、お客さんを感動させて、お金をもらうってこと自体が凄い僕は好きだし、日本ってそれがポジティブなことだとは捉えてないと思う。

 

 

その文化も変えたいなって思った。

 

 

感動を与えた人が感動を受けたお客さんから直接お金をもらう仕組みって何が卑しいんだろうかって思って。

 

 

でも日本には明確に卑しいって文化があるんですよね。

 

 

いわゆる家がない人がやることだとか、身寄りのない人がそうやって人様から・・・

 

 

 



 

 

メタ認知能力

 

小学6年生の頃、「自力で稼げるように」と親戚にもらったアコースティックギターを片手に駅前で弾き語りを始める。

 

 

前田裕二
前田裕二

お金が欲しくて歌っていた。 

 

 

お金をもらうには当然人に立ち止まってもらわなければならない。

 

 

一生懸命歌っても立ち止まってくれないことに憤りを感じていた。

 

 

何で?って憤ってもお金が降ってくるわけではない。

 

 

どうしようもないと思った時、

 

 

じゃあ、自分が通りがかる人だったら・・・

 

 

客観カメラで見るようになった。

 

 

『オリジナル曲は聞いてくれない』

⇒『カバー曲を歌うと立ち止まる』

⇒『立ち止まった人のリクエストに応えると仲良くなれる』

⇒『リクエストに応えられなかった曲を一週間後に弾いてあげるともっと仲良くなれる』

⇒『仲良くなったらオリジナル曲を聞いてくれる』

⇒『カバー曲+オリジナル曲の演奏もっとお金が貰える』というサイクルに気付く

 




 

DeNA南場氏が惚れた男

 

DeNAを蹴って、UBS証券に入社。

 

DeNAの最終面接で

 

前田裕二
前田裕二

僕が絶対にDeNAに入って、自分がやると決めていることは3年でDeNAをやめることです。

 

 

3年でDeNAを辞めるとおしりを決めることで、3年間で他の社員が10年やっても残せないような爪痕を残します。

 

 

だから私を取った方が良いですけど、僕を取るかどうかに関しては僕が決めます。

 

面接でのアピールとかではなく、本当に心から思っていたと。

 

画像引用:こちら

 

 

当時のDeNAの社長南場智子氏から直電が何度もあった。

 

普通の一般の就職活動した子に社長が直々に何度も電話するほど南場氏は前田さんに惚れ込んでいた。

 

UBS証券に入社後も半年に1回くらい南場氏から「よっ!元気?」的な連絡はあったという。

 

UBS証券入社2年目でニューヨーク勤務に。

 

ニューヨーク2年目の時に、幼少期にギターをくれた親戚のお兄さんが急死。

 

死というものが現実的かつ身近なものとして突きつけられ、自分は代替不可能な価値を残せているか?と考えるようになる。

 

起業しようと決意。

 

事業プランを南場氏に相談。

 

南場氏「うちで、事業を立ち上げることのなんたるかを勉強して、その後、自分で起業する方が成功確率上がるし、スマートじゃん。まだ25歳でしょ」って

 

DeNAに入社し、1つ起業するも全く受け入れられなかった。

 

すぐに撤退し、「SHOWROOM」を立ち上げる。

 

 

母と兄の存在 亡き母に願掛け

 

前田さんの決断、歩んできた道には、いつも“母と兄”の存在があった。

 

人生の中で重要な意思決定の時、

 

絶対に兄貴は『お前が後悔しない決断をしろ』っていってくれるんです。

 

ちゃんと深く内省して決めろ、と。

 

もう一つ、結局その意思決定した時点では、そもそもどっちが正解もない。

 

だから後で後悔することが無いように決めた後のアクション頑張れよっていう意味なんですよね。

 

つまり自分の選択を正解に導くのは、選択した後の自分次第であると

 

 

あとは…すこし恥ずかしいのですが、よく願掛けをしています。

 

実は右手に5歳ぐらいのときにできた小さな傷があるんですよ。

 

僕が8歳の時に亡くなった母が、僕の体の中で唯一知ってる傷でもあって。

 

だからここ一番という時は、この傷を見て、母親のことを思い出す。

 

心の中で話しかけたりして。

 

これをやるとすごく落ちつくし、やって失敗したことがない(笑)受験でも、面接でも、プレゼンでも。

 

僕だけの勝利の法則ですね

 

 

 

 

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