尾上松也プロフィール
本名:井上龍一(りゅういち)
生年月日:1985年1月30日(35歳)
父:六代目尾上松助
梨園の生まれではなく、歌舞伎が大好きで、二代目 尾上松緑に入門。
急にいなくなってみて、自分がどれだけ影響を受けていたかとういうことと居てくれたことが自分にとってどれだけ後ろ盾になっていたことはもの凄く感じましたね。
いつでも聞けるとかそういう安心感があった。
いなくなって突然わからなくなり、聞ける人もいない不安にかられた。
ありがたいことに父が亡くなった後も先輩方が指導してくださってるんですけど、やっぱり寂しいなって思ってしまう。
みなさん、ご家族やご兄弟がいていいなぁって
自分だけなんか孤立してるような置いていかれてるような感覚があった。
代々からの歌舞伎の家柄ではないので・・・
基本捻てますね。(笑)
悪い意味ではなく、自分の中でエネルギーになった。
今でもそういう危機感を持って過ごせている。
自分の実力不足もあるんですが・・・
自分の中で技術とかはそう簡単に培えるものではない。
父もそうでしたし、自分も少しでも真ん中(舞台の中心)に近づきたいという気持ちは強いですね。
中村勘九郎、七之助さんも松也さんと同じようなこと(お父様)を話しています。
本日は私の父、六代目尾上松助の誕生日です👏
生きていれば73歳です🙌
パパ、おめでとう🤣㊗️
ずっと見守っていてください🙇♀️#尾上松助 #お誕生日 pic.twitter.com/0QzxkrKx70— 春本由香 (@yukaharumoto) July 13, 2019
ド派手母:河合盛恵
祖父:春本泰男
新派俳優
本名:井上 喜吉(いのうえ よしきち)
叔父:大谷桂三(初代尾上松也)
ブログ画像
父を亡くした後、歌舞伎界に居る肉親はこの叔父だけです。
叔父に会うとちょっとした安心感を覚えます。
なんとなく心強いという感じかな。
仕事場であれば尚更ですね。
妹:春本由香
本名:井上 真由香
劇団新派所属
名子役だった
5歳で初舞台。
父親の襲名披露記者会見の前日
松竹の会長のところに父親がご挨拶に行った際
「お前の息子はいくつだ?」
「5歳?・・・それなら出しちゃえ」
口上って長いんです。
それまで手をついたままの姿勢を長時間保ったことがなかった。
背中がつったんでしょうね。
背中が痛くて痛くて・・・
客席が騒ついてた記憶もあり、自分の感情も覚えている。
すごい苦しい思いをして苦痛に耐えているのに何を笑ってるんだ!
6〜12歳の時には、多くの賞を受賞。
国立劇場特別賞 3回
歌舞伎座賞 1回
自分では、(受賞)記憶にない。
子役の時の方が評価していただいていたのかもしれない。(笑)
3人のお弟子さん
松也さんが20歳の時にお父様が死去。
その時、お父様には3人のお弟子さんがおられた。
何もできないから他の方に弟子入りし直してくれて構わないですよ。
全員が「このまま松也の弟子となる。」と言ってくれたという。
父親から受け継いだ一番の財産が、この3人の弟子です。
家族も一門も自分が支えていかなければならない・・・
尾上徳松さん
ブログ画像(2012年2月22日)
父の一番弟子としてずっと一門をまとめていてくれている尾上徳松さんの60才のお誕生日。
とってもおめでたい。
今現在は、68歳?
歌舞伎以外に求めた役者としての活路
歌舞伎以外の分野で自分がどれだけ価値を高められるかの勝負になるのかなあ〜ってところは父が亡くなってからもの凄く考えるようになった。
現代劇とかミュージカルとかもやらせていただいてる。
オーディションはことごとく落ちてるんです。
自分をアピールするために本当は良くないのでしょうが、ドラマのたったワンシーンのために歌舞伎(ひと月)を休むこともあった。
30歳までに結果を残す
オーディションを落ちまくっていた時はしんどかったですね。
30歳までに何かしらの結果を残せなかったら全てを辞めようと思っていた。
2009年から自主公演『挑む』を主宰
出演交渉・衣装の手配など裏方も自ら行った。
父の死後、頑張ることができた理由
父を嫉妬させたい。
父親が嫉妬して化けて出てくるくらい頑張りたいってのが心の支えになっていた。
歌舞伎以外の分野で活躍させていただけることによって、歌舞伎の方でもいい影響としてかえってきている。
そういう機会をまだまだ増やしていかなければならない。
いろんな分野に挑戦していかなければならない。
半沢直樹に出させていただけて、多くのみなさんに見ていただけたことはありがたいことです。
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